あの日のことと、これから
こんばんわーみー。
昔mixiが流行っていた頃に日記をよく書いてました。自分の中に溜まった様々な感情を文章で昇華させるのが好きだったんですよね。いつしかtwitterにシフトしてしまって長文を書くことはほとんど無かったんですが、twitterの文字制限に苦労することも多々あるのでブログを始めることにしました。いつまで続くかわかりませんが・・
自分の趣味である浦和レッズと特撮に関することを毒にも薬にもならない内容でお届けいたします。お付き合い頂ければ幸いです。
さて、最初の投稿ということで浦和のことを書きたいのですが浦和のことを書くのであれば、まずは今更思い出したくもないあの日のことを振り返らなくてはならないのかなと思います。
<明治安田生命201リーグチャンピオンシップ第2戦 VS鹿島 埼玉スタジアム>
試合が終わってから約30分間、表彰式が終わるまで一言も発することなく、席に座ったまま呆然としていた。「ウチの選手たちは大丈夫か」そんなことばかり考えていた。
今更レギュレーションのことを言うつもりはないし、鹿島の優勝にも文句は無い。『それでも』と言わずにはいられない。ルヴァンカップを制しミシャ政権になってから悲願のタイトルを獲得し、リーグでも歴代最多タイの勝点74を叩きだした今年一番多く勝利したこの最高のチームが、本当なら笑顔でシーズンを終えるにふさわしい浦和の選手たちが。
「サポーターに申し訳ない」と頭を下げている。泣いている。
小笠原がシャーレを掲げた時、阿部ちゃんがシャーレを掲げる姿を重ねて泣いた。
こんなのあんまりだ、と。
栄冠を逃したことによる悔しさや怒りは無く、ただひたすら悲しみにくれた。
本当は表彰式なんか見ないで早く帰りたかったけど、選手たちを拍手で送ってあげたい、と思った。この試合にではなく、この1年に感謝をこめて。
後日、試合後には感じなかったはずの悔しさがこみあげて来た「なぜいつも通りに出来なかったんだろう」負けたことにではなく、最後の最後でいつも通りのサッカーが見られなかったことに。試合間隔やコンディションの問題はあったと思う。でも昨年の広島は同じ条件で勝ったのだから、やはり浦和も勝たなきゃいけなかった。そういう意味ではまだまだ「王者」と呼ばれるに相応しく無かったのかもしれない。
また負け惜しみかもしれないが2ステージ制の恩恵を受けて優勝した鹿島のことも王者とは呼べない。「年間1位の浦和」と「CS優勝の鹿島」2016年は王者不在のシーズンなんだということで納得することにした。
来季に向けた補強が始まっている。補強があるということは、それ相応の放出も見込まれているということ。当然ではあるが、今年がほぼ昨年の上積みで望めただけに、このチームで優勝できなった寂しさは当然ある。
でも、浦和を去っても死ぬわけじゃない。サッカーに関わってさえいてくれたら僕らはみんなを身近に感じることが出来る。
CS1戦目の日に起きたシャペコエンセの悲劇はサッカー界を悲しみで覆った。
「もし浦和で同じことが起きたら」と想像して恐怖に慄いたのは僕だけではないはずだ。
サッカーが出来ること、優勝を争うこと、残留するために抗うこと、昇格に挑むこと、そしてそれらをサポーターという他人事ではない立ち位置で関わることができること。とても幸せなことだと思う。
だから誰かが浦和の選手じゃなくなるくらい大したことじゃない。
もちろん誰かが去るのは寂しい。でも僕らに出来るのは去った選手のその後の活躍を見守ること、そして来てくれた選手が「浦和に来て良かった」と感じてもらえるように全力で応援することだけでしょう。
今までも、そしてこれからもサッカーは続くのだから。