海を望む。
8時半。私は起床と共に、まだぼんやりした頭で休日をどう過ごすかを考える。「どこかへ行ってしまいたい」が「行き過ぎると寂しくなる」と厄介な性格の私は前日のうちに一つの計画を練っていたものの、それを実行するかで迷っていた。しかし、家でのんびり過ごすには余りにも早く起きすぎてしまった。私は覚悟を決める。
シャワーで寝汗と頭の中でリフレインする「ポニーテールとシュシュ」を洗い流して家を出る。行き先は豊洲。
豊洲での勤務経験のある、私は通勤のお供に文庫本を欠かさなかった。片道1時間は読書に適した時間である。ペンギン・ハイウェイを読み終わっていた(最高だった)私は古本屋で森絵都「カラフル」を購入。ちなみに森絵都はこれで3作品目である。
無機質な地下鉄では読書がすすみ、1時間という所要時間も苦にすることなく、12時に豊洲到着。目的を果たす前に、まずは前の職場へ挨拶に向かうことにした。
私が豊洲に在籍したのは半年のみだったので、職場の人との人間関係は決して悪くはないが、深いものでもなかった。それでも知ってる人がまだいるのは嬉しかった。今日は1人だけだったので20分ほど立ち話をして、目的を果たす為、その場を後にした。
私の目的、それは「水上バス」である。はじめは「海がみたい」とぼんやり考えていたのが、やがて「水上バス」に乗りたいに変化した。
私はリサーチを怠らない。前日の調べによると「ヒミコ」という松本零士がデザインをしたという近未来的な船で豊洲から40分かけて浅草へ向かう便があるらしい。その後、浅草をうろつくのも良い。
しかし「第二火曜運休」の文字を見て、私は愕然とする。なぜ、月に1度の運休日が今日なのか。自らの間の悪さに呆れた。
それでも、私は豊洲周遊コースというものがあるのを見逃さなかった。40分かけて豊洲周辺を回る・・これも悪くない。
乗船券を買う為、ドックに出る。海の見渡せる事務所のような所には30代くらいの済ました女性がいた。一応、浅草行きの便は出てないのかも訊いてみようと思った。
「今日って浅草行きの、」
「全て欠航です」
「・・ですよね」
なぜ食い気味であるのか。まあいい。欠航なのはわかっていたこと。
「じゃあ、この周遊、」
「周遊コースは週末だけです」
なんということか、アテにしていた周遊コースも無いらしい。自らのリサーチ不足を認めねばならない。いや、それよりも何故、お姉さんはそんなにも食い気味なのか。お姉さんは「今日出てるのは、お台場行きだけです」とも言った。お台場行きを選択肢に入れてなかった、私が当惑したのも無理からぬ話である。
お台場。一人で船乗って、お台場。まるで罰ゲームではないか!・・そうだ!罰ゲームではないか!
そこで不意にポチッという音が聞こえた。何だろうと思うと同時に、その正体を知る「苦行スイッチ」である。
もはや恐いもの無しの私はお姉さんに訊ねる。
「お台場まではどれくらいで着きますか?」
「15分~20分くらいです」
料金も半額程度なのでそんなとこだろうとは思った。しかし正直、物足りない。それでも目的は果たさねばならない。
「じゃあ、そのお台場の、」
「出航5分前から船内で支払いをお願いします」
お姉さんは、どこまでも食い気味であった。
時間に余裕の出来た、私は仕事用のポロシャツを購入しようかと、ららぽーと内をウロつく。無地で充分ではあったが、クジラのワンポイントに魅せられ若干高い方を購入してしまった。仕事中はエプロンをしているのでワンポイントが何の意味もない、ということに気づくのは、この2時間後のことである。
しかし、その事実に気づいてない、私はこの時点で、何かが満たされたような気がした。「もういいかな」という思いが頭を過ぎる。再びドックに出ると小雨がパラつきだしていた。どうやら神様に見放されているらしい。その一方で悪魔が「もう帰る?」と囁く。なんて魅力的な提案をするんだ!
ここで、帰ってしまったら何をしに来たかわからない!一応、海は見れたけど・・いや、これは苦行なのだ!
もはや「海を見る」という当初の目的を忘れ、雨の中、時刻表を確認すると、ちょうど出航3分前だった。しかし、ゲートは開いていない。例のお姉さんに訊ねる。
「13時の便って、もう乗れます?」
「まもなく、出航しますのでお待ちください」
答えた、お姉さんが「こいつ、正気か?」という顔をしていたのは言うまでも無い。そして直後、出航のアナウンスが流れゲートが開く。同時に私は確信する。
これに乗るのは俺だけだ―。
乗務員2名に客1名。私は港から船を見守るカップルの視線を慌てて避け、船は私の為だけに動き出した。その事実に優越感を感じるほど神経の太くない、私は申し訳なさでいっぱいだった。私がいなければ、この便はどうなっていたのか。それを訊ねる勇気は持ち合わせていなかった。私は呟く「これは思った以上につらい」
船内では、私の為だけに非常用のアナウンスが流れる。救命胴衣を確認し、万が一でもここでは死ねない。ここで死んだら「あいつ一人で何してまんのん」と陰口を叩かれることは必至だからだ。絶対に生きて帰る。私は固く誓う。
アナウンスも終わり、船内のいたたまれない空気に耐えかね、外に出てみた。雨は上がり、風が心地よい。塩分が目にしみるが泣いているわけではない。腰を下ろし景色を眺めると、開放的な空間が心も解き放ったのか、やけに落ち着いた。「悪くない」
遠くにスカイツリーを望みながら、東京タワーやレインボーブリッジを通過していく。一人でも辛さは感じなくなっていた。雨上がりの空はどんよりとしたままだったが、晴天の強い日差しは、鬱蒼とした心には、時に残酷であるものと思う、私には曇った空が優しく感じられた。
穏やかな気持ちでお台場に到着するも、すぐに現実に引き戻される。「ここで、どーしろっていうんだ」本当の苦行はここからかもしれないと思った。
とりあえず、砂浜に立つ。こうしていると寂しい人みたいである。というか、寂しい人でしかない。辺りには数組のファミリーと修学旅行生。記念写真を撮っている女子高生はパンツが見えている。私は「うかつだぜ」と呟いて、その場を去る。
その後ウロウロしてみるものの、やはり目的を見出せない。お台場神社、なる場所でおみくじをひいてみると、小吉がでた。「俺にはお似合いだぜ」と自嘲気味に笑う。内容も「焦らずのんびり構えてれば良いことあるよ」的な毒にも薬にもならないことが書いてあった。「自我を抑えること」ともあった。しかし私が本当に知りたいのは「どうすれば、自我を抑えることができるか」である。私は100円のおみくじに対して大人げなく憤り、やがて諦めた「飯食って帰ろ」
14時という少し遅い昼食(普段に比べたら早いのだが)をとり、ゆりかもめに乗り込んだ。駅へ向かう途中、点字ブロックで躓いた。
豊洲に戻ってきた、私は更に思いつく「月島に行ってみよう」
一駅分なら歩けるだろう、と海沿いの散歩を開始した。途中「グリコ」をしている母子とすれ違った。パイナップルの「ッ」の部分で20歩ほどの大胆なダッシュを試みる子と対照的に「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」と息を切らしながら唱える母が微笑ましかった。
月島は噂通り、もんじゃだらけだった。しかし、この時、仮面ハライターに変身を遂げていた、私は誘惑されることはなかった。モヤさまでも取り扱われた、ご当地Tシャツを買いたくなったが、見栄っ張りな、私にとってミーハー行為は容易ではなく、結局は店の前を通り過ぎるだけに留まった。しかし主人は不在だった。
結局、少し歩いただけで、月島から電車に乗り岐路につく。なんと帰りの車内で「カラフル」は読み終わってしまった。読みやすくて、それで いて良い話だった。
地元に着き自転車に乗ると、遠くで塾通いの小学生がPASMOを落とすのが見えた。すれ違った老婆はPASMOを指差すものの声もかけない。小学生はずんずん進んでいき駅に入る。私は道のど真ん中で自転車を降り、小学生を追いかけた。
追いついた、私は無言でPASMOを突き出し、小学生はそれを訝しげに見ていたが、自分の名前が印字されているのを見ると、理解したらしく礼を言った。私はまた、無言でうなずき立ち去った。格好つけたわけではない、息が切れたのを隠しただけである。格好つけた、という表現はある意味では正しい。
道のど真ん中に放置され異様な空気を放っていた自転車の元に戻ると、全てを見ていたパチンコ屋の呼び込みのお兄さんが「いいことをしたね」というような微笑をむけたような気がしたが、気づかないフリをした。それが、照れくささなのか、「落としたのが小学生じゃなくて女子大生なら良かったのに」と思ってしまった罪悪感からなのかというのは私本人にもわからないのである。
こうして、ほんの少しの達成感と大きな疲労感を抱えて、私は家路に着いた。
近頃、トマトや遊園地の乗り物など、苦行をこなしている、私は今日また成長した。このまま、どんどん成長して周りがついてこれないほどの男になったら困ったものだと、思う。皆に見放されてしまうのはもっと困ったものである。
とにもかくにも、薄っぺらいが濃い1日だった。
しかし豊洲~浅草コースは是非リベンジしたいものだと思う。
今度は、できれば、誰かと。
批判と中傷
最近どうしてもモヤモヤすることがあり、自分の気持ちを整理するためにも、こうして文章にしてみたいと思います。
それは選手に対する批判について。
プロサッカー選手はサッカーでお金をもらって生活をする。だから結果が出なければ批判は仕方ないでしょう。そして本人に現状を打破しようとする姿勢が見えなければサポーターにも見放されてしまう、これも仕方ないと思います。
ただ何を言っても許されるとは思えません。
嫌うのは自由だし贔屓目に見ても嫌われるだけの理由もあると思います。でも嫌われる人間がいじめられても仕方ないとは思いません。
その批判、本当に批判ですか?馬鹿にして面白がってませんか?批判も度を過ぎると中傷になりますし、それを面白がってる様子はいじめと同じにしか感じず私は恐怖すら感じます。
サッカー選手である前に1人の人間です。そして多くのサポーターに見放されていても、それでも信じたいサポーターもいます。その人たちにとってはとても不快に映るはずでしょう。
ツイッターはひとり言を言う場所だ、何を言ってもいいはず、嫌なら見るな。
真理だと思います。
でも、もっと大前提として「人を傷つけていい場所」なんてあるはずありません。
気持ち的なことを言うなら人を傷つける人が自由に振舞って、それを不快に思う人が我慢しないといけないのも理不尽だなと感じます。
念のために付け加えると擁護がしたいわけではありません。私から見ても不満はあります。
擁護とかそんなんじゃなくて、ただいじめを見せられてるようで不快だというだけです。
批判は大いに結構。ただせめて言葉を選んで。出来れば仲間内だけでやってほしい。自覚なきいじめ加害者は外から見るとみっともなく見えます。
選手に対する、って言ったけど選手に限らず誰に対してもそうですね。
最後に、人にはそれぞれ良い所と悪い所があって、良い所で悪い所でを帳消しにすることは出来ないし、悪い所で良い所が帳消しになることもないですよ、ということだけ付け加えたいと思います。
一生忘れない日
兵庫県西宮市で叔母の葬儀を終えた私は阪急電車に乗り梅田へ向かった。チケットを確保しながら前日埼玉を離れ運命の一戦をHUB梅田茶屋店にて観戦することにした。
HUBを利用するのは初めてだったがたまたまなのかサッカーファンが多いのか試合開始前から混み合っているように感じた。浦和のユニを着ている人もいて、そのひとりひとりに「ちょっと聞いてくださいよ」と言いたいのを堪え端っこの壁際に陣取った。
威風堂々を小声で歌う。コレオで泣きそうになるのを堪える。いよいよ始まる。
開始15分くらいそのまま観ていたが寂しくなり思い切って立ち見のテーブルに入らせてもらった。黄色ユニの22番を着た彼は快く受け入れてくれた。
前半はスコアレスのまま終わり、初めて黄ユニの彼が話しかけてくる。待ってましたとばかりに「ちょっと聞いてくださいよ」と返す。
彼の話も聞いた。転職で今日鴻巣から大阪に来たばかりなのだという。友達もまだ彼しかいないんです、と紹介された男はシェフチェンコ似のイケメン外国人だった。シェフチェンコは神戸サポらしいが浦和の中ではウガジンヒジョウニミニクイ、じゃなくてウガジンヒジョウニスバラシイと。周りが異を唱える中「お目が高い」とサムズアップで返した。
「今日どうしてマウリシオ出てないんですか?」と訊いてきたのはゲーフラを持った鹿島サポのお姉さん。姫路在住ながら鹿島へ通い続けてるらしい。「鹿島優勝ですね」と声をかけると「そんな油断はしません!」と。ガチの人だった。
バラバラで来た数人がなんとなく談笑しながらハーフタイムを過ごし後半戦へ。
後半も半ばを過ぎた頃には身動きが取れないほど混み合ってきた。酒も空だが動かないし視線も動かせない。時間が経つにピッチ内の意思統一が重要になる試合展開。
だが運命の瞬間が訪れる。ラファエル・シルバの先制ゴール。店内は歓喜に包まれ、またも泣きそうになる、が堪える。まだ終わってない「最後締めろ!」と叫ぶ。
そしてタイムアップの笛。机に突っ伏しそのまま今度こそ泣くのを堪えなかった。当然嬉しい、でもそれだけじゃない。ここ数日のバタバタで溜まっていた感情が爆発したかのように大泣きした。周りが一瞬「え」となった雰囲気は察したがすぐにみんなが肩を叩いて讃えてくれた。隣で一番大きな声を挙げて応援していたスーツの兄さんは「良かったなぁ」「おめでとう」と何度も言ってくれて、どこか他人事のような言い方だと思ってたら「俺はガンバサポやけど」と言い出して周囲が騒然とした。一番声を挙げていた浦和サポだと思われた男性はただの元気な関西人だったのだ。そのテーブルに集まった関東人たちは「なんでやねん」とは言わなかった。
涙は放送がのどじまんに切り替わると同時にさっと引き、シェフチェンコ氏が「感動した」とビールを奢ってくれた。その後は再びテーブルにいた人たちで談笑が始まる。
2007年の浦和が最高、暢久、達也、坪井切ったのありえない、ミシャ嫌い、という典型的なハエヌキガーさんもいた。「鹿島でいうと小笠原を切るようなものだ」という発言に「ベテランを切った先のビジョンがクラブにあるかどうか」と返す鹿島サポさんはやはりガチだった。
その後はその鹿島サポさんと便は違うものの同じく高速バスで東京駅に向かうということで発着場まで同行させてもらった。
試合中は応援してくれてたけど、歩いてる途中に何度も「悔しい」と漏らしていた。鹿島サポのACLにかける想いが伝わる。
そして「悔しいですよね」と。「今日の試合チケット持ってるのに観られないなんて」「自分だったら身内との縁を切っても試合を優先してしまうかも」と。
その言葉だけで、ここ数日間の葛藤が異常なものではないと言われてる気がして救われたし、もうスタジアムに行けなかった無念は晴れていた。もちろん勝ったからというのは、ある。そしてそれ以上に、心は本当に本当に埼スタにあった。
嫁さんは俺のユニを着てスタジアムに行ってくれたし、多くの仲間がこんな大事な試合にも関わらず、俺のことを思って応援に力を入れてくれた。「心は埼スタに!」なんて言葉では足りないくらい、自分は埼スタにいたんだと思う。きっと何年かして振り返る時に素で現地観戦だったよ、と言い出しそうなくらい。
連れて行ってくれた仲間たちには感謝しかありません。
鹿島サポの姉さんとは今日のお礼に明日だけは鹿島を応援することを約束して別れた。
もし自分が逆の立場なら他クラブを応援するどころか興味すら失うし「俺らの分も頑張れ」と言われるよりは「悔しいから負けちまえ」と言われる方がしっくりくる方だったが、直に応援されれば嬉しいし、ありがたいと思った。
高速バスでの7時間もほぼ眠ることなく、ひたすら勝利の余韻に浸っていた。
スタジアムで歴史の目撃者になることは叶わなかったけど、素敵な仲間たちに会えたし、自分にはこんなに仲間がいたんだと感じさせられた。
そして、自分でもわかってなかった浦和レッズに対する気持ちに気付かされた。
スタジアムでは経験できないことをたくさん経験した今日のことは一生忘れないだろう。
最後に、もう一度、仲間たちに感謝します。
ありがとうございました。
みんなで
いよいよ浦和レッズ2度目のACL制覇をかけた決勝2ndレグ、アル・ヒラル戦の前日。私は親戚の訃報を受け、葬儀に出席するため新幹線にのって新大阪へ向かっている。
仕方がないことではある。わかってる。わかってるだけに、悲しくて、悔しい。
子供の頃、浦和レッズが好きだと言えば「弱小チーム」と馬鹿にされた。
高校の部活が終わった後、日の暮れたグラウンドで浦和レッズ降格の試合をラジオで聴いた。
大学生で浦和レッズがナビスコカップを初制覇し、テレビで観ていた私は号泣し目を腫らしたままバイトへ向かった。
その後は生活が忙しかったのか他に優先することがあったのか、なぜか浦和レッズとは距離を置いた。
試合の結果は常に気にしていたし、テレビで観れる試合は観ていたが、あのリーグ優勝の瞬間もACL制覇の瞬間も目撃することなく結果を伝え聞いて喜んだ記憶がある。
2008年から定期的にスタジアムに足を運べるようになるも、浦和の最盛期は過ぎていて苦しいシーズンが続く。
ミシャが監督になってからは充実、でも最後には泣かされるシーズンが続いた。それでも昨年のルヴァンカップで初めてタイトル獲得の瞬間を目の当たりにした。
月イチを目標にしてた観戦頻度は徐々に増えていきアウェイは年イチ程度、ホームは8割以上は行けるようになった。
もちろん観戦頻度が多いから偉い、というわけではない。
サポーターに上下関係はない、という話の中で「サポーターは前後の関係」だと教えてくれた方がいた。この考え方はとても腑に落ちた。
海外へも軽く飛んでいってしまう最前線サポやいつも埼スタで声を枯らす前線サポ。指定席は自由席に比べれば割高でそういった貢献にはなっているし、グッズを買うなどで貢献しているサポもいる。また最後方で支援してくれている遠方のサポーターを忘れるわけにはいかない。前線のサポにとって埼スタは日常のものだけど、遠方のサポにとって埼スタに行くことはきっと特別なことなんだと思う。非日常のものに対して熱を維持し続けているというのは、凄いことだと私は思う。
それぞれの想いと、それぞれの持ち場。
それがなんであれ、どこであれ浦和レッズを好きだという気持ちに後ろめたさを感じる必要はないし、堂々とサポーターを名乗ればいい。
ただ、私は今回の突然の持ち場変更は一生引きずるだろうし、むしろ勝っても悔しいと思う(笑)
それでも負けた先には悔し涙しか無い。それなら勝ってアジア王者になって嬉し涙と悔し涙を流す唯一の浦和サポになりたい。
浦和レッズは無くならないし、自分にはまたチャンスがある。次は10年も待たせないはず、多分。
自分がそこにいるかどうかじゃない、チームが勝つかどうか。今のところテレビで試合を観ることさえ不透明だけど、気持ちはみんなと同じ。
絶対に勝とう。
団結して、みんなで。
愛とか恋とかそういう話
こんばんわーみー。
まず初めに確認させてください。
今回のタイトル確認しましたか?
もし確認していなかったら確認してください。
99%の興味無い方はそこでそのまま、そっと閉じることをオススメします。
1%に満たないであろうもの好きそこの貴方。お付き合い感謝致しますがあとで後悔しても責任は負えません。引き返すなら今です。
なぜ、こんな話をしようと思ったか。きっかけは職場のパートさんの一言でした。
「わーみーさんはラブラブですか?」
私は思った。『この人は急に何を言い出すんだろう・・』
本当に前後の文脈無く言い出したので戸惑いながらも私には春から一緒に暮らしている同居人がいるので、そのことだとは察しがついた。
ただ、何と答えるべきか。33歳の男が「ラブラブでーす」なんて答えようものなら「リア充死すべし」と映画のタイトルが如く罵られること請け合い。
それ以上に交際も5年近くになるとラブラブというには鮮度が落ちるのは否めない。ただ別に当然飽きたわけでもないし不満も無い。普通に楽しくやっている、返答に困ったが結局はそれをそのまま伝えた。
パートさんは私よりひとつ年上ではあるがなかなか乙女なようだ。
「ドキドキとかしたくないですか?」
女子というものは常にそういったものを求めるものなのだろうか。いや、男でもそういう人はいるから一概には言えないかもしれない。
「でも、そういうの続かなくないですか?」と応じると「そうなんですよー」とアッサリ答えた。
私はドキドキとかそういうものは長くは続かない、と思っている。もちろんそれが続けば素晴らしいと思う。ただやっぱり現実的には難しい。
恋愛に限らず強い感情は大きければ大きいほど、それを維持するのは困難になる。恋愛におけるドキドキはブームみたいなもので、いつかは必ず落ち着く。
私はそれは悲しむべきじゃなく受け入れるべきことだと思っている。
それが出来ずに物足りなさを感じるカップルは続かなかったり、場合によっては浮気に走ってしまったりするのかなと。
パートさんに言いたかったけど言えなかった言葉がある。
「一緒に居てドキドキするのが「恋」だとしたら、ドキドキしなくなっても一緒にいたい、って思えるのが「愛」なんじゃないですかね」
ここで読むのをやめないでください
まあでも本当に長く続くかどうかってそういうところなんじゃないかと。例えば片方が100%好きでも片方が70%くらいだと、100の方が気持ちの差に物足りなくなったりするだろうし、それならお互い80くらいの方が長続きしそう。
そして書きたいことを書き終えた私はとてもスッキリしています。
さすがに口に出して言えるほど強心臓ではないので・・
最後まで読んでいただきありがとうございました。
もちろんそんなつもりはさらさらありませんが、もしかしたら「惚気かよ!」と受け取る方もいるかもしれません。ですが後悔としても先に宣言した通り責任は負えません。読み終えた方々のつぶやきが聞こえてくるようです。
「リア充死すべし」